2020年7月13日月曜日

2020.7.12 深沢教会礼拝メッセージ 「和解の使者キリスト」

2020.7.12 深沢教会主日公同礼拝
※動画は下の画像をクリックしてごらんください。

聖書  新約聖書 コリントの信徒への手紙二5章17~21節
メッセージ 「和解の使者キリスト」牧師 齋藤 篤


2020年7月11日土曜日

2020.7.12 深沢教会主日公同礼拝のお知らせ

2020年7月12日 (日) 
深沢教会 主日公同礼拝のお知らせ
教会設立64周年記念礼拝


① 9:00~10:00 ② 11:00~12:00
※ ③19:00~20:00 の礼拝は、葬儀のため休会いたします。

    聖   書  新約聖書 コリントの信徒への手紙二5章17~21節
    説   教  「和解の使者キリスト」
    説教者  深沢教会牧師 齋藤 篤

※どの礼拝でも聖餐がとりおこなわれます。
※②礼拝では、バプテスマがとりおこなわれます。

2020年7月5日日曜日

2020.7.5 深沢教会礼拝メッセージ 「信仰が現れた」

2020.7.5 深沢教会主日公同礼拝
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聖書  新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙3章21~29節
メッセージ 「信仰が現れた」牧師 齋藤 篤


2020年6月28日日曜日

2020.6.28 深沢教会礼拝メッセージ 「失えば得られる」

2020.6.28 深沢教会主日公同礼拝
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聖書  新約聖書 マタイによる福音書10章26〜39節
メッセージ 「失えば得られる」牧師 齋藤 朗子


2020年6月23日火曜日

2020.6.23.火 #ローズンゲン 聖書のことば

旧約聖書 詩編147編15節
仰せを地に送ると/御言葉は速やかに走る。
 
新約聖書 テモテへの手紙二2章9節
この福音のために私は苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。
日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』

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本日、わたしたちに与えられた聖書のことばのテーマは「神のことばは走りゆく」です。
 
人間がどんなに言論を封鎖し、束縛したとしても、神のことばは走りゆく。本日わたしたちに与えられた聖書のことばは、そのことを率直に伝えているのだと。
 
ローズンゲンを生み出した、ドイツ・ヘルンフート兄弟団は、チェコのカトリック司祭であったヤン・フスの姿勢に大きな影響を受けています。フスはただ聖書に根拠を求め、神のことばを中心とした世界こそ、神の御心と受け止めて生きました。しかし、それは根拠があやふやな伝統固守主義の勢力によって徹底的に迫害を受け、ついにフスは処刑されてしまいます。
 
しかし、フスが斃(たお)れたからと言って、聖書のことばが縛られたわけではありませんでした。フスの思いは後世に引き継がれていきます。ときの勢力による迫害を逃れ、その一部はドイツ国境まで逃げて、ツィンツェンドルフ伯爵の庇護を受けます。かくまわれた土地は「主の守り」という意味であるヘルンフートの名がつけられ、やがて聖霊の力によって彼らは「聖書のことばこそわたしたちの合言葉(ローズンゲン)」というスローガンがたてられ、聖書のことばを中心とした共同体が形成されたのです。
 
話は戻って、フスは処刑される前に「真実は勝つ」ということばを遺したのは、あまりにも有名な話です。この真実とは、フス自身の真実ではなく、フスがどんなに縛られようともご自分のことばをあまねく走らせることのできる神の真実であるのです。この真実に守られながら、わたしたちは聖書のことばに生かされる幸いを得ているのです。
 
本日も神のことばに込められた真実に活かされる一日でありますように。お祈りいたします。

2020年6月21日日曜日

2020.6.21 深沢教会礼拝メッセージ 「わたしの言葉は決して滅びない」

2020.6.21 深沢教会主日公同礼拝
※動画は下の画像をクリックしてごらんください。

聖書  新約聖書 ルカによる福音書21章20〜33節
メッセージ 「わたしの言葉は決して滅びない」牧師 齋藤 篤




2020.6.21.日 #ローズンゲン 聖書のことば

旧約聖書 詩編92編2-3節
いと高き方よ、なんと喜ばしいことか/主に感謝し/あなたの名をほめ歌うことは。
朝に、あなたの慈しみを/夜ごとに、あなたのまことを告げ知らせることは。
 
新約聖書 ローマの信徒への手紙15章5-6節
忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ、声をそろえて、私たちの主イエス・キリストの父なる神を崇めさせてくださいますように。

日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』
 
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本日、わたしたちに与えられた聖書のことばのテーマは「忍耐と慰めの源」です。
 
わたしは、本日の聖書のことばを目にしたときに、昔聖歌隊のメンバーであった頃に指導者から聞いたあるひと言を思い出しました。それは「相手の声を聴きながら発声する」というものでした。
 
さまざまなパートが一緒に違う音を出しながら歌うわけですから、ほかのパートにつられやしないだろうかと、自分のことで頭がいっぱいになることがあります。そうするとどういうことが起きるか。相手の声を聞かずして、いつしか自分のパートを貫くために調和のとれない発声をしていたということです。つまり、自分のことだけを考えた言動に走ってしまっていた、というわけです。
 
このことは、わたしたちの共通する傾向について物語っているような気がしてならないのです。わたしたちは自分の危機を迎えると、他人のことなどどうでもよくなって、ただ自分を守ることだけに集中するあまり、結果として非常識なことを正当化してしまうということです。
 
さて、本日の新約聖書のことばの背景には「自分のためにではなく隣人のために生き、働かれたイエス・キリスト」の存在に触れています。ですから、イエス・キリストに倣って、とは、自益ではなく公益に生きたイエスが手紙の書き手であるパウロのイメージにあるのです。
 
しかし、わたしたちはそのことを成すのは、今日の聖書のことばにもあるとおり、忍耐を極める業であると言って間違いありません。わたしたちは誰でも、究極の選択を迫られたときには、他人のことなどどうでもよくなるのだと思います。だから、公益に生きるというのは、多くのチャレンジが要求されるし、自分の根底にあるものを否が応でも見つめさせられるのでしょう。
 
だからこそ、わたしたちには「忍耐と慰めの源」である神の助けを必要とするのです。パウロはさらに、それが聖書のことばを通して与えられるのだと断言しています。わたしたちが誰でも、過不足なくまた平等に聖書のことばが与えられているこの現実は、自分の力や能力ゆえではなく、神がわたしたちを決して束縛することなく、ともに声を和して賛美する喜びにへと、わたしたち一人ひとりをいざない、そして惜しみなく喜びを与えてくださるのです。
 
今日も聖書のことばが与えられている喜びが、礼拝を通して十二分にわたしたちに注がれることを感謝しつつ、神に祝された一日でありますように。心よりお祈りいたします。